TRPGにおけるマルチエンドシナリオの功績と原罪
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あってはならない筈の「マルチエンド」
いきなり挑発的な見出しだが、 プレイヤー体験のためのTRPGシナリオアンチパターン でも触れている通り、 TRPGにおいて「複雑なマルチエンド」というのは 極力やるべきではない 。
なおここで言う「マルチエンドシナリオ」というのはノベルゲーム顔負けの「トゥルーエンド」とか「ナントカエンド」とか存在するシナリオ群の事である
該当記事に書いてある通り複雑怪奇なシナリオをやって後からアレができなかったコレができなかったとGM(に相当する人物をこの記事では「GM」と総称する)にうだうだ種明しをされてもプレイヤーはなにもおもしろくない上に、往々にしてそういったシナリオは「明確な失敗点」が描写されない、あるいは苦渋の選択を迫られたあとに「これがあなた(たち)の選択でした」と言われその多くが非常に後味の悪い物だったり、もちろんそういったシナリオを好む人種がいるのはわかるがこのようなシナリオを平気で初心者にぶつけトラウマが生まれる事も珍しくないと聞く。
そもそもTRPGの原理として「プレイヤーとGMが異なれば同じシナリオでも全く違う物語が生まれる」というしくみが存在するため、明確な成功/失敗意外のマルチエンドというのは言いかたを恐れなれば そのものがTRPGの原則に反している と言ってもいい。
で、あるがしかし、この「マルチエンド」という仕組みはかなり前からTRPGでそこそこ流行している。得にCoCが顕著であるが(というかここ数年CoCぐらいしかTRPGを知らない人間が多いだけなのだが)ちょろっとシナリオを探すと大袈裟にストーリーを捻じ曲げたりいかに刺激的なシナリオ展開にするかといった事に躍起になっているようなマルチエンドのシナリオが山のように出てくる。山のように出てくるからみんなやる。というかやらざるをえない。そして少ししたらそれが当たり前だと思い自分もマルチエンドの「エモエモシナリオ」を作り始める。そもそも 普通に作ってればマルチシナリオなんて自然にできあがるのだ 。 筆者としては最初は みんなバカなのかなぁ ぐらいに思っていただけだったがどうもこの流行には一応原理と理屈があるらしいというのが筆者の中で整理がついてきたため備忘録として記事を書く。
動画/実況のための「再生産性」
結論から最初に言おう。これは「実況色の強いTRPG動画が作られるようになったから」の一言に付きる。それでも2010年ぐらいまでのTRPG動画というのはまだニッチな部類で、動画投稿者が専用にシナリオを書き下ろしながらリプレイ動画を、あるいは「リプレイ風の」動画を作成していた。そこから徐々に「TRPG動画」のムーブメントが起こり始た。ここを間違えてはいけない。起ったのは「TRPG」のブームではなく「TRPG動画」のブームである。そのうちTRPGをやっている風景をそのまま収録した動画や、ライブ配信をやる者が現れ始めた。現在も有名配信者やYoutuber、VTuber等がTRPG配信をそこそこ行っている。
さて、ここで問題になってくるのが動画の「ネタ」である。動画や配信をする度にシナリオを書下すのはしんどい、 通常は 人のシナリオを借りてくるのは大いなるネタバレになる。だからといって先に書いた 「プレイヤーが異なれば同じシナリオでも全く違う物語が生まれる」 というのを視聴者に、得に非TRPGプレイヤーに伝えるのはとても難しいし 恐らく理解されない 。有名配信者ともなれば母数に対して「TRPG」というものに詳しい人間は当然少なくなる。普通の人間だったら同じシナリオタイトルを示されたら CRPG 同様に「あーはいはいあのゲームね」といって見向きもしないだろう。
そこで考案されたのが「ビデオゲーム実況の方式を借りてくる」という方法である。つまり「再生産性のあるゲームを行う」という方法である。例を挙げるなら Minecraft や Apex である。これらのゲーム実況を見た事のある人間は多いであろう。やってる人間も多いがあんなに人口が多いのに成り立っている。それは一重に「同じゲームでも全員違う事ができる」からである。 Minecraft なら巨大建築をする人間もいればのんびりと日々の生活を送っている者もいるし、MOD盛々で遊んでいる人間もいる。 Apex その他対人ゲームであれば当然毎回違った展開でゲームが進んでいく事となる。これらは「再生産性のあるゲーム」と界隈で呼ばれ、「ゲーム実況」の柱として初心者に指南される程の黄金律とまで化している。
賢明な事に、 或いは愚かな事に 、TRPG の実況を主催している人間はこの方式に目をつけた。わかりやすい再生産性、つまり「プレイヤーが変わるとシナリオの展開がまるまる変わるゲーム」を提供すればいいのだと。そうして頻繁に行われるようになったのが「マルチルート、マルチエンド」のシナリオを採用したTRPG動画(或いは実況配信)である。そうして世に出回る動画、つまり TRPG を知らない人間が最初に触れる多くの TRPG メディアとして「マルチエンドシナリオ動画」が量産され、それを真に受けた人間がおなじようなシナリオを回し、そうして育ったプレイヤーがまた嬉々としてエモエモマルチエンドシナリオを執筆し始める。見事である。これこそ再生産である。 但し「負の」という修飾子が前につく事になるが 。
TRPG の GM 界隈で有名な人間もこれを行っている。正直老害の部類である筆者からすればこれは何とも嘆かわしい事であるがそれをやいのやいの言う権利は無い。なぜならこの方法は 圧倒的に楽 だからである。シナリオ一本書くのがどれだけ大変か、筆者も身を持って知っている。しかも彼らは実況映えするシナリオを書かなければいけない!有名実況者でも VTuber でも呼んで頻繁に TRPG 配信なり動画なりを出して少しでも TRPG という物を世に普及させようとしてくれているのである。だったらマルチエンドでもルート分岐でも何でも使って再生産性を高めたシナリオを最初から作った方が楽であるし、「 TRPG はそういう物だ」と視聴者が思ってくれたならしめた物で、同じシナリオタイトルでも「今度はどんな展開になるのかなー」と無邪気に wktk しながら実況を見に来てくれる。やってる側からすればこんなに嬉しい事は無いであろう。
余談: シナリオの大量生産について
もちろん シナリオ本体なんて3行ぐらいですませてあとは全部アドリブでやる 、という方法もある。一見量産が可能な様に見えるが、だがそれがどのくらいのペースでどのくらいの期間コンスタントに生産できるかという話である いくらコストを低くしてもペースに勝てないだろう 。
最初にこの記事を公開した時に先の方法を呈示して息巻いている人間がいたが、「動画を作っている」と言っていたので多分生放送の事は頭に入っていなかったのだろう。動画のネタをとって公開用に編集して分割して投稿している間にだいたい 1 話で 2-3 ヶ月は経つ。3行ぐらいのシナリオなんて逆に言えば思いついて当然だ。生放送は放送してしまえばそれで終りだ。すぐに次のネタを練らなければいけない。半月ペースぐらいでやってみるといい。遠くない将来にネタが枯渇する方が先に来るだろう。バリエーションのあるネタを用意するというのは思った以上に大変である。
マルチエンドが犯した罪
しかし話はここで終わらない。何度も書いているが、それを見て TRPG を知った人間は「 TRPG とはそういう物だ」と思い始める。そしてそういうシナリオをプレイし、そういうシナリオを書き始める。いや、それならまだマシである。 プレイヤー体験のためのTRPGシナリオアンチパターン を書いた時にも「最初にやった TRPG がこんなんで TRPG やらなくなった」という声がいくつか寄せられた。つまりこの「マルチエンド」という仕組みの(あるいはその他のアンチパターンの)裏で 「振り落された人間」が少なからずいる という事である。
昔語りをしてしまうが、筆者が TRPG を始めた頃はギリギリTRPG動画ブーム直前で、どどんとふが普及しはじめてはいたがオンラインセッションといったら IRC がまだ主流の頃であり、マトモに TRPG をやろうと思ったらコンベンションに突入するぐらいしかなかった。 TRPG サークルみたいなのがあればよかったのだが、残念ながら母校には存在しなかった。 コンベンションが安息の地だと言うつもりは無いし、当然場所にもよるからその質はピンキリなのだろうし、正直オッサンしかいないから若い人間や女性が行くにはちょっとハードルが高い。(いや、それこそ場所と場合によるが……) それでも「初心者対応」と名言してあれば懇切丁寧に対応してもらえたし、そこでそれなりに経験のある GM と知り合いシナリオの作りかたとは云々みたいなのを教えてもらいながら「最初は一本道シナリオでいいんだよ」とか、「GMには手加減が必要だよ」とか、そんな事を教わりながらシナリオを作った物である。
現在だと環境なんていくらでもあるしメンツも Twitter で簡単に集められる。筆者は Twitter の野良卓なんて恐しくて行けないが、 TRPG を知った人間がやってみたいと思って何かしら検索した時に当たる可能性は大いにある。もちろん TRPG を遊ぶ相手が簡単にみつかる事は大いに結構である。であるがしかし、先まで述べていたような勘違いをしたシナリオと GM にあたり「 TRPG ってこんな辛いものなのか」とその場限りの体験で終わらせてしまった人がどれだけいるのかと思うと少し憂いを感じる。
根本的な問題
ここまでマルチエンドという物がどれだけの功績を残しどれだけの大罪を犯してきたかという事について述べてきたが、問題の本質はというとちょっと話が違ってくる。 プレイヤー体験のためのTRPGシナリオアンチパターン を書いた時に寄せられた声の一つにこんなものがあった。
2000年代に散々議論されてきた事ばっかり書いてあんなぁ
そうなのである。あの記事に書いた事は00年代どころかむかぁーーーーしから散々議論されている事である。ではなぜ私はあんな記事を書きわざわざ Github なんかに上げて Twitter で宣伝しているのか。 答えは単純で この手の話が見えるところに残っていなかったから であり、なおかつこれらの技法は口伝により継承されていたため現在の TRPG 層、いわゆる「動画勢」という人間に伝わっていないからである。 もっと言うと昔から TRPG を嗜んできた層と昨今の動画ブームに乗って TRPG を始めた層は およそ完全に分断されている と言ってよく、片方の側の人間がもう片方の文化を知る事はほとんど無い。よって知識の伝搬が完全に断たれており、よってこの現状が生み出されていると筆者は推測している。日本人特有の「身内で固まりがち」という性質も関連してそうだが、先も述べたようにそもそもコンベンションに行くというのはかなりハードルが高い。オンラインで簡単に遊び相手を見付けられる現代において世代毎に、あるいは TRPG を知った時期毎にクラスタができあがりそれらが完全に閉じているのは不思議な話では無いであろう。
残念ながら筆者はそれに対する解法を見付けられていない。あわよくば有名 TRPG 配信者がこの状況を打破してほしいものだが、それはなんとも無責任な話だし 何よりシナリオを書くというのは本当に大変である ので、この方式をとった各人にとやかく言う資格は私にない。
だから私はこういった方法で残していくしか方法が思いつかなかった。だれか何かいい方法あったら教えてほしい。正直ここ数年この問題について考えているが、有効な手立てはみつかっていない。という嘆きの言葉を結びに、この記事を終える事にする。