じつかいせきのTRPG雑記

プレイヤー体験のためのTRPGシナリオアンチパターン

ご意見ご感想や追記してほしい事などありましたらリプなりIssueなり頂けると私が小躍りします。

心構え

このページにはプレイヤー体験を向上させる、つまるところ「プレイヤーがやってて楽しいと思えるシナリオ」を作る上でやってはいけない事を列挙している。正確には「使いどころが難しいから安易に手を出してはいけない」事が書かれている。

主役はプレイヤーである事を忘れてはいけない

TRPGというのはGMとプレイヤーが一体となってひとつの物語を作りあげるゲームである。そのためゲームを進行する上で一番重要なのは以下の二つである

  • いかにプレイヤーと GM が円滑にコミュニケーションをとれるか
  • いかにプレイヤーがそのセッションを楽しむ事ができるか

その上でプレイヤーが「やってて楽しい」と思えなければそれはシナリオか GM 回しのどこかに欠陥がある。一昔前までは GM とシナリオ作者が同一である事の方が多くその責任分担が曖昧になっていたのだが、今どきインターネットには大量のシナリオが出回っている。また自身で作成したシナリオを公開する機会も多くなっているだろう。その上で「こういう要素はシナリオに組込むのに注意がいる」、あるいは「こういう要素が入っているシナリオを回すのには注意がいる」という点を纏めた物である。

昨今のTRPGブーム、 正確には「TRPG動画」ブームと呼ぶべきなのだが 、その過程でシナリオ作者がやりたいことをつめこみすぎたせいであまりにもプレイヤー体験を蔑ろにしたシナリオが蔓延している現状を鑑みこのまとめを作成するに至った。

おそらくこのページに纏めた事を全て排除した先にあるのはよくある「一本道シナリオ」だろう。味気がないと感じるかもしれないが、まずくはない。カレーの定義をぎりぎりクリアしている黄色い液体、ココイチのカレーみたいなものである。それでもまずあなたがやる事は「演出」であり、決してシナリオギミックの方ではない。楽しむべきは GM (シナリオ作者) ではない。主役はシナリオヤギミック等ではない。 主役はプレイヤーだ。 忘れてはいけない。

カレーに例えるなら演出がトッピングでシナリオギミックはスパイスである。このページにある要素を入れるというのは、カレーに分量も何も考えずにスパイスを大量投入するような物である。しかもここに上がっているのはほとんどがキャロライナリーパー級である。

案ずるなかれ。そういうのは基本的なシナリオを散々作ってからやればいいし、何よりこのページを見ているという事はあなたはきっと「プレイヤーに楽しんでもらいたい」という気概が少しでもあるのだろう。要するに「使いどころ」である。残念ながらそれを体系的に纏めたものは皆無に等しく、体感で覚えていくしかないのだが。

「TRPG動画」ブーム

生配信の類は未だいいが「動画/書籍として公開されているリプレイ」には注意が必要である。 アレは「見せもの」だ。 はっきり言うがそこに プレイヤーは存在していない 。あるいは見せもの用に大袈裟な演出を加えている。 動画でどんな刺激的な展開が発生していたとしてもそれは後から編集されたものか、あるいは見てる人間に刺激を与える為にわざと過剰な演出をしている物だ。 いずれにせよ「リプレイ」というものは 創作された物だという事を忘れるな

言っておくが公式が出しているリプレイ書籍も大概で、特定の人間のロールプレイに固有名詞がついて揶揄されたとか界隈でもシナリオが酷評されたとかそんなんいくらでもある。 それは一重に彼らが 見せもの としてリプレイを書いているからであり、それに相応しいロールプレイをしているからである。書籍として出すのだからある意味当たり前の事である。

キャラクターとプレイヤーの分離について

基本的に、特に TRPG 歴の浅い人間には プレイヤーとキャラクターの分離ができない 物として考えた方がいい。どうやら見ている限りなりチャ勢とかうちよそ勢とかはそもそも「そういう」世界の人間なのでその分離が とてもうまく できているらしく、簡単に「うちの子」を苦境に立たせたり殺したりする事ができるようなのだが それは特殊スキルだという事を理解してほしい

なんぼ「ロールプレイ」と言ったって実際に行動を決めるのはプレイヤーなのだ。キャラクターに降り掛かった災難は自分事のように感じるし、苦渋の選択を迫られたらその選択をしなければいけないのは結局のところプレイヤーだ。 キャラクターにストレスを与えるという事はプレイヤーにストレスを与える事と同義だという事を肝に命じるべき だ。

それを念頭に置いた上で GM は「プレイヤーが考えなければいけない事」と「キャラクターがとるべき行動」の指針を明確に区別しながらセッションを進行すること。それをしても尚キャラクターとプレイヤーの分離というのは難しい。

全般

「見て楽しいシナリオ」と「やって楽しいシナリオ」は異なる

言い替えれば「動画映えするシナリオはやるな」と言える。重大な事なのでもう一度言う。 「動画映えするシナリオはやるな」 「見て楽しいシナリオ」と「やって楽しいシナリオ」はコーラとレモンぐらい違う。そりゃレモンコーラというものは存在しおいしい物であるがレモンは果物でコーラは飲み物である。そのぐらい何もかも違う。

動画で見た演出やシナリオをまにうけて 動画で見たような見せもの用の シナリオを書くのは、あるいは動画で持て囃されているようなシナリオを回すのは 普通にスパゲティを食べたいと言っている人間をマウンテン1に連れていく行為に等しい 。 もちろんプレイヤーがそれを望んでいるなら一考の余地があるが、内々で回すんならフツーのシナリオをやった方がいい。あえて動画や配信を意識したシナリオというのは 再生産性を求めた歪なマルチエンドシナリオ であったり、 見栄えの過激さ を求めるために 苦渋の選択 を迫られたりとプレイヤーにとってストレスフルになるシナリオが存在する。物事はいつまでたってもエスカレートしてくものだ。

シナリオ説明で嘘をつく

トレーラーにミスリードがあるとかそういう話 ではない 。シノビガミで「特殊型」と書いてあるのに蓋開けたら対立型だったり、 時代設定が江戸なのに何の前触れもなくボスが未来のオーバーテクノロジーを持ってきたりする現象である。

シナリオスペックはプレイヤーの行動指針の根幹に関わる部分である。ここで嘘をつかれたら大惨事が起こるどころかプレイヤーの GM やシナリオに対する信頼を損なってしまいセッションの進行に大きな支障をきたしてしまう。

「プレイヤーが感じた通りに/思うように演出させてください」

「展開はキャラクター次第です」という文言もこれに等しい。

あなたがどんなつもりでこの言葉を書こうと、この言葉はあなたがシナリオの骨組すら設計する事を放棄した事を意味している。

感情の誘導がないという事は、シナリオの行動方針が無いという事である。どのような感情をもつのかがわからないという事は、あなたがそのシナリオの作者であるにも関らず中身を理解していないという事である。

ここでいう「感情」とはすなわちキャラクターがシナリオに参加する、あるいはシナリオ中にどのような行動を起こすかの「動機」である。どのような行動をとるにせよキャラクターには「あれそれを成すためにこれこれをしなければいけない」という「感情」が必要である。それは義務感かもしれない、誠義感かもしれない、理屈に従う事なのかもしれない、はたまた欲望なのかもしれない。 言うまでもなく目の前に起こった事象に対してキャラクターがどんな感情を持つかはそのキャラクター次第である。 ただし、それでもである。冒頭の文言を書くという事はあなたがシナリオの「動線」を作成する事を放棄したに等しい。 もちろん展開にも例外はあるが、想定された展開の一つや二つも無いというのはあなたがシナリオの作成という行為そのものを放棄したという事に他ならない。それは「シナリオ」ではなく「シナリオフック」である。

例えばである。

町中で幼女が泣いているのを、警察官でもない一般人が何故保護するのか。保護されなかったらどうなるのかキャラクターは理解しているのか。

公園で奇妙な儀式が行われていたとして、それを制止する理由があるのか。制止しなかったらどうなるのかキャラクターは理解しているのか。

無人島に流されたとして、どうして命懸けで脱出しなければいけないのか。脱出しなければどうなるのかキャラクターは理解しているのか。

目の前で人が殺されかけているのを見て、どうして自分が危険を犯して助けなければいけないのか。助け損ねたらどうなるのかキャラクターは理解しているのか。

これらは後述する「描写されない失敗点」とも絡んでくる。「描写されない失敗点」の項も参照するといい。

漠然と「きっとプレイヤーが能動的に事件に絡んでくれるだろう」とその理由付けを怠っているシナリオは多い。それでも指針が決まっているシナリオなら及第点である。 ところが冒頭の文章を書き展開をプレイヤーとGMに丸投げしなんとなく雰囲気だけ書いてあるシナリオが存在する。残念ながら存在する。

もしあなたがGMで、どこかから拝借してきたシナリオにこの文言が書いてあった時は細心の注意が必要だ。この言葉が書いてあるという事は前途の通りシナリオ作者は雰囲気だけ作成したところでそのシナリオの作成を放棄している。 あなたにレールを外された列車を制御できる力量があればいいが、残念ながら列車にハンドルはついていない。多くの場合はプレイヤーが何をしようとも「シナリオに書いてあるから」の一点張りをしながら淡々と書いてある事を読み上げる機械になる未来が待っている。この状況を逃れる方法は二つある。GMが即興でレールを敷いてあげるか、プレイヤーがなんとかしてその列車にハンドルをつけるかだ。どちらも相応の技量が要求される。そしてほとんどのGMやプレイヤーにその技量はない。つまり、無理なのである。

システムでサポートされていない秘匿ハンドアウト

秘匿ハンドアウトはシステムでサポートされていない限りプレイヤーには手に余る物である。シナリオ作者が思った通りに活用される事はまず無い。

プレイヤーはそれを話したがらない。秘匿されているのだから。

プレイヤーはそれを公開していいのかがわからない。秘匿されているのだから。

プレイヤーはそれをいつ公開するべきかわからない。秘匿されているのだから。

プレイヤーはそれを公開したらどうなるのかがわからない。秘匿されているのだから。

秘匿ハンドアウトとは公開された時に発生する状況の変化や PC に対するインパクトが重要なのであり、そのため秘匿ハンドアウトを採用しているシステムはその公開タイミングをきちんとルールで定めている。それはシステムにより他人から暴かれるものだったり自発的に公開するものだったりするが、これをきちんと決めておらずただ秘匿ハンドアウトを渡されても上記の通りプレイヤーはそれをどう扱っていいのかがわからない。

それでも秘匿ハンドアウトやりたいんなら『シノビガミ』とか『インセイン』とか、自発的に公開するルールになっているのは『アマデウス』とか、そのあたりのシナリオとシステムをやりこんで「秘匿ハンドアウトとはどう扱わせるべきか」の勘所をつかめれば或いはシナリオ側でサポートできるかもしれない。けどわるい事は言わない。システムでサポートされてないなら、やるな。

「役割」と「立場」の混同

キャラクターの間に上下関係を作るのは避けた方がいい。多くの場合プレイヤー側でそれをフレーバーに留める事は難しく、結果プレイヤーの上下関係が発生してしまう事になる。 結果としてロールプレイの窮屈さに繋ってしまう。

キャラクターのロスト

どんなシステムであろうと キャラクターのロストはプレイヤーにとって最大の罰であり最悪の事態である 事を忘れてはいけない。プレイヤーに故意かつ重大な過失がある、プレイヤー自身がそれを望んでいる、など特別な事情が無い限りキャラクターのロストは最大限に避けるべき事象である事を常々肝に命じておく事。

一応。ロールプレイの一環としてキャラクターのロストを認めているシステムが存在する。例えば『トーキョー N◎VA』である。このシステムは「人が死にやすい世界観」にて「人が即死するようなスキルが飛び交う」中、「とにかくかっこいいロールプレイをする」という事を主軸にしているため、いよいよとなったらキャラクターのロストを視野に入れる事がシステムでサポートされている 2 し、また、キャラクターを決してロストしないようなキャラクタービルドも容易となっている。先に言っておく。 システムでサポートされているからギリギリ許されている だけである事には留意していただきたい。

このようにロストを視野に入れる事のできるシステムですらそれは重大な判断であり例外である。そのぐらい キャラクターのロストは禁忌 なのである。

ストーリー

プレイヤーがシナリオに干渉できない

シナリオの前半9割がGMからの状況説明で、目の前で起こっている惨劇を収拾する方法がなく、クライマックスで「さぁ貴方の選択は?!」とかやらかすシナリオが、どうやら存在する。 一昔前は「吟遊GM」と言われていたその存在がシナリオのレベルで根強く残っている。主人公はPCである事を忘れてはいけない。

いわゆる「一本道シナリオ」と混同してはいけない。一本道シナリオは全て予定調和であるが、その過程でPCは障害を乗り越えエネミーを倒し間違い無く「自らの手で」勝利しているのである。

NPC が主人公になってしまう

先の項目と関連するのだが、GMが思う「素晴しいストーリー」を詰め込んだ結果NPCばっかりで物語が進む。NPCが強すぎてエネミーを薙ぎ倒してしまった結果PCの立場が奪われてしまう。などが発生するとPCが「私たちなんでここにいるんだっけ」となってしまう。

PCがなぜその場にいなければならないのかを明白にする事。この物語はPCがいないと解決できなかったんだ、という体験をさせる事。

明確な成功/失敗以外の大袈裟なマルチエンド、シナリオ分岐

残念ながら流行りの一つであるが故に、これはもうそのものがアンチパターンであると言っていい。 GMあるいはシナリオ作者からすればその物語は何回も語られる物であるが、プレイヤーにしてみれば一度きりの物語である事が多い。(同じシナリオを複数回プレイする環境もあるが、仲間と機会に恵まれないと難しい。) そこで煩雑な分岐のあるシナリオを後からあーだったこうだったと語るのはあまりにも不毛な時間であり、シナリオ作者がプレイヤーを掌の上で転がしているだけに見える。というか、そうなのである。

というか普通にシナリオを作っていればある程度のマルチにはなるものだ。 どうせルールブックすら読んでないあなたのための TRPG マルチルート/エンドシナリオの執筆法と回しかた でも触れているが、あなたが「普通のシナリオ」を書いてそれでは不十分だと感じる場合、それはよほどプレイヤーの能動性を失わせているシナリオになっているか、あるいはあなたの想像力が足りないかのどちらかだ。捻じ曲げたストーリーを差し込もうとしてはいけない。さもなければそれは吟遊シナリオとなるか全くもって意味不明な展開になるかのどちらかである。

またマルチエンドを唄っているシナリオはそれらの分岐をあえて作りたいがために「ナゾ」、「描写されない失敗点」、「苦渋の選択」等が盛り込まれている事が多く、およそ例外無くプレイヤーにストレスを与えるシナリオ構成になっている。

得にエンドに名前を付けるのは絶対にやってはいけない。それは プレイヤーの選択に優劣を付けるのと同義である。 結果がどうであれそのプレイヤーにとっては最良の選択をしたはずで、その結果として結末が分岐するのは当然であれそこに優劣をつけることは絶対にしてはいけない。

勘違いしてはいけない。あなたは周回が前提のノベルゲームを作っているのではない。

結末が明示されない選択、苦渋の選択を迫る

とはいえ、「この選択をしたら金が!この選択をしたら信用が手に入る」ぐらいの選択ならよい。 あるいはこれは一本道シナリオの技法だが「選ばせているように見えて結果が一緒」とかでもよい。

どの選択をしたらどうなるかの情報が無く、先の見えない苦渋の選択を迫るのは単純にストレスであるし、その状態で選択肢を与えられるとプレイヤーはあらゆる可能性を想定し始めるから進行にも支障をきたす。

またプレイヤーのモラルを試すような、あるいはどちらを選んでも重大な損失を発生させるような選択など、およそ「トロッコ問題」のような選択を迫るシナリオすら存在する。このとき楽しんでいるのはプレイヤーでない。明かに GM 側(あるいはそれを見ている外部者)である。配信等のために(つまり外部の人間を楽しませるために)そういうシナリオをあえてやるのは止めやしない、勿論合意があれば、の話だが。しかし普通のプレイ環境でそれをやるのはあまりにも礼節がなっていないというものである。

固有名詞のついたストーリー上意味のないオリジナルNPC

例えば最初に依頼を持ってきて解決したらお金くれるだけの人とか、単に事件を捜査しているだけの警察官とか、そういう人間にマトモな名前を持たせてはいけない。便宜上必要であれば「桂 拶男」さんとか「ヌッシー・イライ」さんとか、そんな程度の名前にしておくのが無難だ。 TRPGにおいて「ネームド」というのはそれだけで特別な意味を持つ。(まともな)名前のついているNPCはキーパーソンだけにすること。

さもなければシナリオの終盤になって「アイツの情報が全く明示されない!何か見落しがある!」となって議論が発生しシナリオ進行に大きな支障をきたす事になる。そうなってしまったらGMはきちんとそれらのNPCの立場について説明する事。

ただし、システム側で既に名前がついているNPCを出すと都合が良い場合もある。その場合は立場が明確になるようにロールあるいは説明をすること。

キャラクターの孤立

物理的な話ではない。いや、物理的に孤立するのも処理が大変なのでやめた方がいい。

キャラクターの一人だけが立場を落とされる現象の事を指している。ファンタジーであれば一人だけ異端者の扱いを受ける、などである。このような状況が発生するとそのキャラクターがパーティーから切り捨てられる可能性がある。

シナリオで発生する危機はその場のプレイヤー全員に共通の物である事。

単一のギミックでシナリオそのものが失敗になる

他の何を努力したとしても、この判定に失敗するとシナリオそのものが失敗する、このトラップにひっかかるとパーティーが全滅する、などの仕掛けはダイレクトにプレイヤーの無気力感に繋がる。

くりかえして言うが、あなたは周回が前提のビデオゲームを作っているのではない。その場限りの物語をプレイヤーと一緒に作っているのである。 たった一度の物語がひとつのデストラップで崩壊してしまうのは、プレイヤーにとって非常に残念な事である。

描写されない「失敗点」

危機というのは明確に訪れてこそ危機感を煽る事ができ、プレイヤーが対処する事ができる。プレイヤーに秘匿されたまま「あの情報について聞かなかった」「このNPCへの対処を失敗した」などの「失敗点」を積み上げて最後に種明かしされても、プレイヤー側からはただの理不尽の塊にしか見えない。

再三くりかえすが、あなたは周回が前提のビデオゲームを作っているのではない。

情報収集

情報収集項目の非公開

あなたがスムーズなシナリオ進行を望むのであれば、(その時点で)調べられる情報は全て項目として列挙すること。

人間はあなたが思っている程賢くない。シナリオを作成するあなたも同様である。あなたの作ったイントロがその先の情報収集の指針となる可能性は限りなく低い。

また、TRPGプレイヤーは往々にして極悪なシナリオを多数経験しているため情報収集項目が非公開だとプレイヤーは最悪の状況を想定して情報収集を始める。 「依頼主は信用してはいけない」「ヒロインが黒幕であり殺さなければいけない」「出てきた情報は敵にとって都合のいい物であった」これらは全て「よくある」事である。

目標値の非公開

特にリソースを払えば達成値を上げられるようなシステムでは、情報収集の目標値は公開する事。

残念な事であるが、高めの目標値に重要な情報を隠しプレイヤーがそれを開けられないまま阿鼻叫喚する様を楽しんだ後に「この情報開ければなんとかなったかもねー」と高笑いするGMがこの世には虱のようにいる。結果「非公開の目標値」はすなわち「青天井の達成値を出さないと死ぬ」という宣戦布告と捉えられる。

情報を点で出す

情報は点で出してはいけない。例えあなたが善良なGMであっても、プレイヤーは往々にして数々の極悪なシナリオを経験しているから点で情報を出すと明後日の方向に線が繋がる。 情報は点ではなく線で出す事。AとBの情報からCという真実が導かれる場合、AB両方の情報が出た時点で「だからCだとあなたは理解した」まで情報として呈示する事。

また点で出た情報は「ナゾ」の一種に当たる。後述の「ナゾ」の項目も参照する事。

情報の出し渋り

普通の人間は想定より人の話を覚えていない。情報は思っている量の3倍を出し、適時GMが復唱すること。

重複した情報

違う物を調べた時に全く同じ情報が出てくるのはモチベーションの低下に繋がる。一つの情報を複数の方法で調べられるようにするべきではあるが、同じ情報に行きつく物を調べようとした時はGMが制止すること。

「ナゾ」

貴方が日常的に「ナゾ」を作成しており、例えば脱出ゲームなんかのシナリオで企業から報酬を貰っている立場なら作ってもいい。だが、そうでないのなら「ナゾ」は作ってはいけない。 素人が作る「ナゾ」は間違いなく意味不明で一貫性がなく答えるのが不可能な物になる

そもそもの話、断片的な情報から答えを出さなければいけないのはプレイヤーではない。キャラクターである。 どうしても出したいのなら、あるいは出してしまったのなら少しだけ考えさせたのちに知識や閃きを問うダイスロールを要求すること。それに成功したなら答えを教えること。

一応例外がある。「数式で表現できるリドル」なら出してもいい。「1+1は田んぼの田!」とかそういう話ではない。例えば「油分け算」や「正直村と嘘吐き村」などは数式で表す事のできるリドルだ。それでもプレイヤーがわかならそうであればダイスロールを要求すること。これを読んで「数式で表せる」という事にピンと来なければ、いますぐに「ナゾ」を作るのをやめるべきだ。

意味の無い情報

主に以下の二つが存在する

  • 重要そうに見えて意味の無い情報
  • ミスリードを誘うような情報

前者は単純にセッションの阻害になる。後者はシナリオ作者が 歪なストーリー を作ろうとした結果である。いずれにせよこんな情報を出しては大いにプレイヤーが混乱する。

何度でも言う。あなたは周回が前提のビデオゲームを作っているのではない

エネミー強化の方針

不相応に強いエネミー

多少の手応えがほしいのはわかる。だがエネミーは強すぎてはいけない。最近はエネミー作成や強化の指針が示されているシステムも多いが、案外とその通りにエネミーを強くするとちょっと辛い戦闘になったりする。加減というものが必要だ。筆者も何回かやらかしている。

得にあなたが作成したシナリオを一般公開する場合それを回すのは右も左もわからない初心者かもしれない。安全に運用するなら戦闘難易度は極力低く設定しておくのが無難である。心配するなかれ。但し書きの一つでも書いておけば卓修羅は勝手にエネミーを強化してくれる。

また、プレイヤーあるいはキャラクターが戦闘に苦戦している時、おもしろいのはGMだけである。戦闘も長びく上に、プレイヤーは今自分が倒れるか自陣営が敗北するかと戦々恐々としながら戦闘を行う事になる。 エネミーがあっさりと倒される事を危惧するのはわかるが、まずは元々用意されているデータでそのシステムのバランス感を掴むべきだし、プレイヤーに死の恐怖を味あわせるぐらいだったら俺強をさせておいた方がまだマシである。思い出してほしい。 キャラクターのロストはプレイヤーにとって最大の罰であり最悪の事態である。 戦闘敗北が即座にロストに繋がるシステムも少なくなってきたが、それでもシナリオというものは戦闘に敗北すると大体は悪い方向に事態が進んでしまう。

そもそもの話として、PCが壊滅の危機に追い込まれるような強化を積んでしまうという状況は、ダメージレースの計算やPCリソースの想定がうまくできていないという事に他ならない。慣れるまで下手にエネミーのデータをいじるのは、得に強くするのはやめておいた方がいい。

なお、「自PCが苦しんでるところを見たい」という修羅の国のプレイヤーの事は置いておく事にする。この記事はいかにプレイヤーに、得に初心者に「成功体験」を積んでもらうかを最重点に置いている。 それに、そういうプレイヤーにであればどうせならシステマチックな戦闘よりシナリオ演出で苦しんでもらいたいものだ。戦闘でただ血を流してるぐらいで「苦しんでいる」というのは些か甘っちょろい。

上記の話はもちろん「戦闘」の性質で変わってくる、例えばクトゥルフの呼び声など「そもそも戦う物ではない」システムについては一考の余地がある。プレイヤーには存分に死の恐怖を味あわせてもよいかもしれない。その場合もスリルをうまく演出できるようバランスには細心の注意を払う事。

また、例えば迷宮キングダム等の戦闘は「詰将棋」の部類である。GMはきちんと「解法」を用意する事。

必要以上に回避/装甲の高いエネミー

特に戦闘を重視したシステムにおいて「攻撃が通らない」というのはそれだけでプレイヤーのストレスに繋がる。 エネミーを強化したいのならまずHPを上げる事。ダメージレースの期待値計算も簡単になるし、大量のHPが確実に削られていくという状況であればプレイヤーに成功体験を発生させる事ができる。繰り返しになるが、良識的なシステムであればエネミーは用意されているデータをそのまま使えばそんなに酷くはないバランスになっているし、それで苦戦する様であればそれはデザイナーの責任である。あえてこれらの値を上げる必要はほとんど無いし、上げてしまったらそれはシナリオ作者の責任になる。

得に装甲の運用には注意が必要である。装甲に頼るとキャラクターが装甲貫通の攻撃を持ってきた瞬間にエネミーが雑魚になる上に、持ってなければ先述した「攻撃が通らない」というフラストレーションが溜る事になる。

何かを無効にするエネミー

例えば「毒が効かない」「装甲を貫通する」など、何かを無効にするようなエネミーがいた場合、その「何か」に特化したキャラクターが無力化されてしまう可能性がある。 キャラクターには等しく活躍の機会を与えるという意味で、このような「回避能力」を持つエネミーはできるだけ避けた方がよい。

出すとするならば異なる回避能力を持ったエネミーをできるだけ均等に出す事。といっても「物理がきかない」か「魔法に強い」ぐらいの選択肢のような気もするが。


  1. 名古屋にある洋食屋である。バカみたいな量だったり苺と生クリームがトッピングされたようなスパゲティを提供する事で有名である。 ↩︎

  2. 経験点はプレイヤーに属するため、キャラクターをロストすることによるプレイへの悪影響がないことが保証されている、程度の意味である。また、システムではないが、プレイヤーの操る「キャラクター同士の殺し合い」が発生しうる旨を、ルールブックの前書き部分に明記している。 ↩︎